RECOMMEND
太陽と月の魔女カレンダー2016【カレンダー】
太陽と月の魔女カレンダー2016【カレンダー】 (JUGEMレビュー »)
太陽と月の魔女,マリィ・プリマヴェラ,小泉茉莉花
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
太陽と月の魔女カード―Witch Cards of the Sun & the Moon
太陽と月の魔女カード―Witch Cards of the Sun & the Moon (JUGEMレビュー »)
マリィ・プリマヴェラ,小泉茉莉花,太陽と月の魔女(マリィ・プリマヴェラ&小泉茉莉花)
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
プロフィール
マリィ・プリマヴェラ
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

12
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

マリィ・プリマヴェラの日記

運命を味方につける西洋占星術
マリィ・プリマヴェラの日記です。

   *********************************

※鑑定のご案内
【対面鑑定】【メール・郵送鑑定】
お子様の将来を占う【赤ちゃん・子ども鑑定】がございます。

マリィ・プリマヴェラ オフィシャルサイト http://www.marie-p.net/
「鑑定・お問い合わせ」の“お申込みフォーム”よりご連絡ください。


   ______________________________________

《料金》
対面鑑定
●ショート鑑定 (30分)7,000円
●ロング鑑定 (2時間以内)18,000円

メール・郵送鑑定
●メール版ショート鑑定(約1000字) 6,000円
●メール版ロング鑑定(約2000字) 10,000円
●郵送版ショート鑑定(約1000字) 7,000円
●郵送版ロング鑑定(約2000字) 11,000円

赤ちゃん・子ども鑑定
(ロング鑑定のみ 約2000字以上)
●メール鑑定 10,000円
●郵送鑑定  11,000円


   *********************************

「占い家庭教師」いたします。
リクエストに応じて、個人でもグループでも
レッスンをいたします。
以下の【お問い合フォーム】よりご連絡くださいませ。
http://form1.fc2.com/form/?id=912767

   *********************************

【太陽と月の魔女/年運ノート2017後半・パーソナル版】発売中!

ご購入者さま個人の2017後半期の運勢について
〈太陽と月の魔女〉が二人で語りあうスタイルで
パーソナルかつ詳しい運勢をお届けいたします。

※詳しくは以下の記事をご覧ください。
http://sunandmoon.blog.so-net.ne.jp/2016-08-09


満月。ケガに気をつけて!
0
    昨日のこと。
    かがみこんで仕事部屋を片付けていたら
    足の上にものすごい衝撃が。
    デスクに置いてあったパソコンのモニターが
    バランスを失って
    私の足の上に降ってきたのです。
    左足中指の付け根のあたり。
    その痛いことといったら…。
    もう声も出ません。
    ううぅぅぅ…と唸り声がもれるだけ。

    しばし時を待ち、
    そっと靴下を脱いでみたら
    すでに数センチほど腫れていました。

    冷やし続けたのですが
    甲のみならず足裏までも腫れてしまい、
    歩くのに難儀することといったら。

    日曜ゆえ病院にも行ません。
    ひょっとしたら骨折しているかも…と
    不安でしたけれど
    かといって仮に診察を受けられたとしても
    たいした処置もされないでしょう。
    安静にして、冷やし続けるしか手はありません。

    ケガの翌日である今日、
    整形外科を受診。
    レントゲン撮影の結果、
    骨折らしき個所はあるけれど、
    断定はできない、とのこと。
    1週間、様子を見ましょうと。

    そしてドクター曰く
    「今日はケガの患者さんがすごく多くてねぇ」。

    あ!
    そういえば今日は満月でした。


    ※これは満月ではありません。満月の2日前の月。


    正確に言うなら、満月になるのは
    12月4午前0時47分。
    日曜日の深夜というわけですね。
    しかも今回の満月は、スーパームーン。
    月と地球との距離が近づくために
    満月が通常よりもうんと大きく見えるのです。
    もちろん月からの影響力も大きくなるでしょうね。
    満月の前後数時間、ひょっとしたら丸1日ずつくらいは
    影響があると考えていいかもしれません。
    ケガ人が多いのは、そのせいでは…?

    満月が近いとわかっていながら
    うかつにもケガしてしまったわたくし。
    占星術師失格、かもしれません、泣きたい…。

    それはともあれ、
    みなさまもご用心なさいますよう。
    明日1日くらいは
    スーパームーンの魔力が及ばないともかぎりませんよ!


    | 非日常のこと | 20:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    日笠教授の「人間学的憲法学」
    0
      人間学的憲法学。
      さて、これはいったい何でしょうか?

      冬の始まりの日曜日。
      大学時代のクラスメートが集まりました。
      憲法の講義を聴くために。
      お話ししてくださるのは
      憲法学の権威にして、駒澤大学の副学長、
      法科大学院教授 日笠完治氏。



      うふふ、日笠教授、実はクラスメート!
      かつて机を並べた私たちに向け、
      「日笠憲法のエッセンスをお伝えしたい」と
      特別講義をしてくださったのです。

      友人と「幸せ問題研究会」と銘打って
      幸せって、いったいどういうことなんだろうね、
      幸せになりたいよね…、
      と語らったことがありました。
      結論なんか出るはずもなく、
      そのささやかな研究会は立ち消えてしまったのですが…。

      日笠教授のレジュメのトップページには
      「人間は皆幸せに生きることを望んでいる。
      そこで、人間が幸せに生存できる条件、
      とりわけ、社会や国家が
      どのような条件を満たすことが必要か
      ということを考えたい」とあります。
      あれれ、私たちの「幸せ問題研究会」と根っこが同じ!

      そう、私たち人間が幸せでいるためにある憲法、というのが
      日笠教授のお考えであり
      日笠憲法学の根幹をなすもの。
      …かな?
      (間違ってる?…わかんない。。。)

      自分に厳しく、粘り強く、
      考察し、検証し、さらにまた考え…というのが
      学者のありようなのでしょうが、
      しかし日笠教授は、加えて、人を見る目が温かい。
      懸命に生きる人間を愛おしく思う。
      だからこそ生まれる人間学的憲法学なのでしょうね。

      講義の内容で、
      こんな話が印象的でした。

      民主主義とは、多数決の原理が働き、
      そこからこぼれた少数の人たちを生み出します。
      多数も少数も、どちらをも救うのが法律。
      あるいは、個人ひとりひとりが道徳を持ち、
      各々違っている道徳観を
      上手に調整するのが法律。
      …そんなことを話していただきました。

      もうひとつ印象に残ったのが
      「人間の価値観には、真・善・美があるが
      どれが最も大切だと考えるか」と聞かれたこと。
      正解はないでしょうが、
      けれど知りたい。
      いったい真・善・美、どれが大切なのでしょう?

      かつて法律学科の学生だったわたくしですが
      法律とはなんと嫌なものだろうと思っていました。
      “法律学科のお勉強”がイヤだったのでしょうね。
      難しすぎる!
      面白くない!
      だって人の心を捨て置いているのだから。
      学生のときは、そう思っていました。
      その思いは、卒業後もずーっと持ち続け、
      そして、今のところ、
      人の心の領域に立ち入る占い師という仕事をしています。

      ところが、日笠教授の口から飛び出してきたのは
      ちっとも難しくない法律!
      人の思いを最も大切にする憲法学!

      参加した元クラスメートたちは
      口々に「素晴らしかった!」
      「学生時代にこういう授業を受けたかった」と。
      その通りです!

      日笠くん!
      素晴らしく充実した時間を、ありがとう!

      ・・・・・・・・・・・・・・・・

      さて、教授であり法律家であるという面から、
      日笠教授を木星に見立ててみましょう。



      木星はつい最近の10月10日に蠍座入りしたばかりです。
      そして金星と、オーブ6度のコンジャンクションにして
      魚座にいる海王星とトリン。
      深く強く思いを巡らし、感動を呼びおこします。
      非常にエモーショナルな星の配置。
      つまり日笠教授は、ご自身も大きな心の動きを覚えるし、
      また周囲の人々にも感動と感銘を与える。
      そんな星の配置です。

      また、この日の月は射手座にあり、
      同じ射手座には水星と土星がコンジャンクション。
      射手座は、法律関係を表す星座であり、
      水星は知性を、土星は忍耐強さを意味します。
      学者そのもの、ですね。

      そして、ここからがスゴイところなのだけれど
      知性の星=水星は、ドラゴンヘッド、天王星と各々120度、
      つまり、この3つの感受点はグランドトリンを形成していたのです。

      新鮮な驚き。
      知性の興奮。
      幸福への入り口。
      それが「法律」というものを介して。

      いやはや、ホロスコープとは
      なんと正確に物語を伝えているのでしょう!

      | 非日常のこと | 14:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      二の酉
      0
        11月は酉の市。
        毎年、酉の日をチェックして
        忘れないようにスケジュール帳に書き込んで、
        けれど一の酉に行くことは、稀。
        たいがい二の酉。

        なぜ?
        ふふふ、だらしないから。

        一の酉の日に気が向かなくて
        ま、いいか…と先送りして
        結果、二の酉になるということです。
        三の酉まである年は
        もちろん三の酉になってしまいます。

        今年は三の酉まであるのですけど、
        11月最後の日30日。
        珍しく用事が立て続けに入っていて
        とても無理そう。

        そこで二の酉の今日18日、
        意を決して、新宿は花園神社へ。
        土曜日は普段以上の人出だろうからと
        夜10時半すぎに行ったのです。



        どう? この人の数!!
        この半分くらいかと予想していました。
        参道から社殿まで列ができて
        なかなかお参りできません。

        それでも、この一年の安泰にお礼をお伝えし、
        これからの一年をお守りくださるようお願いし、
        熊手をいただき、
        厄除けの切山椒を求めることができました。
        ああ、ひと安心!

        三の酉まである年は火事が多いとか。
        どうぞお気をつけなさいませ。


        | 非日常のこと | 02:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        大好き!伊藤比呂美 
        0
          前回に続いて
          「フェミニスト現代詩人」伊藤比呂美さんのお話。
          (以下、敬称を略します)

          本を整理しようと考えました。
          何を捨て、何を残すか。
          それはとてもとても大きな問題です。

          もういいや、この本、捨てるわ。
          いや、誰かがもらってくれないかな。
          あの人ならばこの本、読むかもしれない。
          あああ、もう面倒くさいっ。
          どっかに売り払うか!
          …という繰り返しの末に至った結論は
          どうしても残しておきたい本と
          そうじゃない本とを、
          まずは分けてみよう、ということ。

          どうしても残しておきたい本は
          占い関係、あと4人の作家さんの本。
          その中のひとりが伊藤比呂美!
          といえば、どれほど私が伊藤比呂美を好きなのか
          お分かりになるかと思います。




          これは手元にある伊藤比呂美著書の一部。
          多分、この倍は持っていると思います。

          さて、伊藤比呂美のホロスコープを作ってみました。
          出生時刻がわからないので
          12:00としてあります。

          太陽、金星、火星が乙女座に。
          細やかで、神経の張った、
          まさに詩人を体現するような星の配置です。

          獅子座には天王星、月、木星、冥王星と4つの星。
          土星が蠍座。
          固定宮に星が5つ。
          ああ、これか!
          彼女があれほどイキイキとしていて
          あれほどあからさまに自分を語り、
          あれほど自分を主張するのは、これか!
          すごく納得しましたよ。

          そしてフェミニスト詩人と呼ばれる所以も
          わかるような気がします。
          だって女王様の獅子座に星が4つですよ。
          そしてセクシュアリティを語る蠍座に
          根をがっしりと張る土星がいる。
          なるほどねぇ。
          ホロスコープは嘘つかない!

          で、星がホロスコープ上の一方向に偏っています。
          これは生き方や性格など
          まあ、言ってみれば偏っているということで。
          だからこそ詩人・伊藤比呂美が生まれるわけですね。

          伊藤比呂美は、実は子育てエッセイ本の先駆けです。
          その一作目「良いおっぱい 悪いおっぱい」によって
          今、世の中にたくさん出版されている子育てエッセイの道が
          切り開かれたのです。
          先駆者にして、女王!

          ※伊藤比呂美さん、勝手にホロスコープ作って
          あ〜だ、こ〜だ言ってごめんなさい…。
          大好きです!
          | 非日常のこと | 18:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          伊藤比呂美 朗読会
          0
            日差しが明かるい11月の昼前、
            東京・三鷹市にある国際基督教大学で
            伊藤比呂美さんの詩の朗読会がありました。
            主催はジェンダー研究センター。
            「ジェンダーと詩」という通しタイトルです。

            で、厳密にいえば
            午前中が詩の朗読会、
            午後は講演会とワークショップ。
            都合がつかなくて、朗読会のみの参加でした。

            なぜに「フェミニスト現代詩人」伊藤比呂美なのか?
            (以降、敬称は略します)
            大好きなのですよ、伊藤比呂美!
            フェミニストという括りで、ではなく
            母親というカテゴリーで。

            伊藤比呂美を知ったのは
            はるか昔のこと。
            九州に切腹を本気で考えてる女性詩人がいてね…、
            そんな話を小耳にはさんだことがきっかけでした。
            その後、娘がお腹にいるときに
            「良いおっぱい 悪いおっぱい」という著書を知りました。



            彼女が第一子の妊娠、出産を経ての
            いわば子育て本です。
            これが面白いのなんのって!
            なにせ、子育ての奥義は
            「かさつ・ぐうたら・ずぼら」ですってよ!

            娘を産み育てる間、何度
            「がさつ・ずぼら・ぐうたら」と唱えたことでしょう。
            娘はこの本で育ったのも同然です。

            ご自身で描いたイラストも好きだし、
            本の中身ももちろん大好き。

            そして実際に間近に見た伊藤比呂美の
            なんとステキなことか!
            肩の下まで伸ばしている
            白髪交じりのカーリーヘア。
            大きなサングラス。
            黒いシャツ、黒いぴったりしたパンツ。
            黒のDr.マーチンの編み上げ靴。
            そしてグレイのリュックに
            「伊藤製作所」と染められた布のサブバッグ。
            手にしているのは、MacのPC。
            あぁ、かっこいい!!

            朗読会だというのに
            かなり饒舌なおしゃべりが間に挟まり、
            旧知の友だちの話を聞いているような気分でした。

            そして!
            サイン、もらっちゃった!!
            もちろん「良いおっぱい 悪いおっぱい」に。



            写真も一緒に撮ってもらいました。
            これは本当はアウトだったかもしれないけれど。

            こういう観客の要望にも
            ひとつも嫌がらずに応えてくれる女性なのもまたかっこいい!
            お嬢様はいまどうしてらっしゃるんですか?
            「良いおっぱい 悪いおっぱい」の第一子カノコちゃんとか
            第二子サラコちゃんとか、第三子トメちゃんとかね。
            伊藤比呂美自身が著作物でプライベートをあからさまにしているので
            厚かましいわたくしは、どんどん聞いちゃいましたよ。

            素晴らしくステキな日でした。
            伊藤比呂美のようになれたら
            どんなにいいだろう。
            そりゃあ持っているものが違うから
            同じにはなれるはずもないけれど…。

            はい、サイン本は家宝です!

            あ、「良いおっぱい 悪いおっぱい」は
            改訂版が川出書房新社から文庫本で出ているそうです。
            改訂と言っても、相当に加筆なさったようで
            新しい別の本と思ってもよさそうです。


            | 非日常のこと | 17:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            部分日食 & 黒髪の夢
            0
              明日3月9日(水曜日)は
              部分日食がおこります。
              東京では15%ほど、太陽が欠けて見えるとか。
              ジャワ島、スマトラ島のインドネシアあたりが
              皆既日食エリア。
              ですから、日本では南に行くほど欠け方が大きいとのこと。

              東京ならば、10時12分に欠け始め、
              最大食が11時8分、
              終わりが12時5分ですって。

              日食は、月によって太陽が隠されたもの。
              太陽は、盛大なパワーや権力を暗示しますから
              古来、不吉なものとされてきました。

              今回の日食は、魚座でおきます。
              魚座には海王星がいるし、
              その反対側の乙女座には、木星がいる。

              楽観的になったり、ぼんやりしていたら
              引っかき回されることになりそうです。
              日食の影響力は長く続くので
              しばらくは大変な思いをするかもしれません。

              というわけで、明日は動き回らず、
              落ち着いて周囲を見回し、
              慎重になったほうがいいでしょうね。
              大事な判断も先延ばしが正解ではないでしょうか。


              ・・・・・・・・・・・・・・・・


              ところで。
              前日の記事の続きです。
              出張先に着いたその晩、
              私はこんな夢を見たのです。

              列に並んでいる私。
              髪が真っ黒です。
              そして知らない男性が黒髪の私の頭を押さえ、
              「髪が黒い奴はあっちに行け!」と言い、
              私に制裁を加えようとする…。

              普段は茶髪の私ですけれど
              ちょっとした手違いから
              出張直前に黒髪になってしまったのです。
              それがとても嫌だった。
              そんな思いが夢になったのだと思っていたのですが、
              案外そうじゃないかもしれない。

              夢の中の頭や髪は、理性や思考を意味します。
              それが真っ黒だったのは、
              不安や恐れがある証拠。
              そして抑え込まれているのは
              心身の不調のあらわれでしょうね。

              確かに私は具合が悪かった。
              とても疲れていました。

              けれど…、ひょっとしたら猫さんの不調を感じとっていたのかもしれない、
              そうも思います。

              ただね、夢の中の私は
              抑え込んできた人に対して
              とても反抗的な気持ちを抱いて、
              プイッと横を向いた…。

              これは、抱える問題を打破できるということ。

              それが猫さんのことであろうと
              私自身のことであろうと
              難問をきっと乗り越えられる、
              夢はそう伝えていたのでしょう。
              そして見事、猫さんは復活した!

              私も猫さんも、自信を持っていい!
              自分の、そして猫さんの体力と気力とを信じていい。




              今日も猫さん、うとうとと…。
              尤も、キャットシッターさんが撮ってくださった写真ですけどね。


              | 非日常のこと | 00:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              あけましておめでとうございます!
              0
                新年おめでとうございます。



                旧年中はなにくれとなくお心にかけていただき、
                またお引立ていただき、
                心より感謝しております。
                今年も同様、ご贔屓くださいますよう。

                そして皆さまのもとに幸せがやってきますように!


                さて、私の年末年始。
                どうにも気力がわかず、それどころか体力もなくなり、
                ほんとうに、ほんとうになーーーんにもしないで過ごしました。
                どうしても出かけなくてはならない時だけ
                名実ともに重い腰を上げ
                必死の思いでお化粧して、髪をとかして、
                なんとかかんとか着替えて…。

                そのうえ!
                大晦日の日、昨日のこと。
                飼い猫の様子がおかしい。
                朝起きたら、猫トイレのまわりがトイレ砂だらけ。
                猫を見ると、そわそわして
                何度も何度も、それこそ5分おきくらいにトイレに入る。
                すわ、一大事!
                これは結石に違いない!

                猫、とりわけオス猫は結石ができやすく
                尿が出なくなって
                命取りになることもあるのだそうですが、
                うちの猫はその結石が既往症。
                結石には、ストロバイトとシュウ酸カリウムの2タイプあって
                その両方ともやってるのです。
                おそらく結石ができやすい体質ということもあるのでしょうね。
                間違いなく、それだわ!
                …とドキドキしたものの、
                年末年始休暇でかかりつけの獣医さんは閉院中。

                大晦日の1日、様子を見たのだけれど
                やっぱり改善される様子もなく。
                そこで探しましたよ、ネット検索して、
                休み中も診てくださる獣医さんを。

                それが大晦日の晩11時頃。
                ようやく見つけたのが、夜間に動物を診てくださる救急センター。
                泣きそうになりながら電話をして症状をお伝えしたら
                「すぐにいらしてくださいね」と。

                夜中の12時前、
                いやがる猫にリードを装着し、
                ペット用ケージバッグに押し込んで、
                車で突っ走りました。

                救急センターには先着患者がいたので
                待合室でちょっと待ってたのですが、
                何しろ病院以外には外に出たことのないうちの猫です、
                怖くてぶるぶると震えているし、
                知らない場所で、知らないドクターの声が聞こえてくるのですから
                もう怖くて怖くて、鳴き続け。
                ミィミィと鳴いてるうちはよかったのだけれど
                しまいにはおおお〜んおおお〜んと吠えるように鳴き出して…。

                さて、診察結果。
                心配していた結石ではなかったようで、
                単なる膀胱炎ですね、とのこと。
                あぁ、よかった!
                ほっとして、涙が出ましたよ、わたし。

                体調がちょっと悪くなると
                体内にいる細菌が急激に増えて
                膀胱炎を発症するのだそうです。
                抗生剤とステロイド剤の混合注射をちくんとしていただいて
                それでお終い。
                救急センターではお薬は出せないのだそうで、
                帰宅後も調子が悪かったら
                かかりつけの獣医さんで診てもらいなさいね、と。
                しかし1月3日までは休診です。
                それならば片っ端から動物病院に電話して
                お薬だけでもだしてもらいなさい、って。

                こうして帰宅したのが、1月1日の3時前。
                年をまたいで、猫騒動だったわけで。

                もう14歳半の猫ですから
                何があってもおかしくないとは思っていても
                家にいるのが当たり前の、
                言ってみれば、家族です。
                それも一人娘と一緒に育った家族、
                きょうだいみたいなものです。
                ペットの寿命は、人間よりもずーっと短いのだから
                とはわかっていても
                恐ろしいです。
                不安です。
                悲しいです。

                まぁ、そんなこんなで年越しもお正月もないわたくし。
                ようやっと先ほどお雑煮をいただきました。
                これでなんとかかんとかお正月らしくなった…かな?





                | 非日常のこと | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                太陽が山羊座へ & 花買い開運法の結果は…?
                0

                  明日22日(火曜日)は、冬至。
                  1年で最も日が短く、太陽の力が弱まる日。
                  そして、これからはまた太陽がぐんぐんと力をつける境目の日。
                  この日が来るのをどれほど待ち望んだか。
                  尤も、寒さはますます厳しくなるわけですから
                  冬至がきたからといって
                  うかうかしてはいられませんけれど。
                  ゆず湯、かぼちゃでリフレッシュしましょうか。

                  さて、明日22日は太陽が山羊座へと移動します。
                  山羊座14度には冥王星が居座っています。
                  既に水星が山羊座入りしています。
                  安定感のあるひと月なのですが、
                  それとともに、今まで根を張っていた重しがいったい何なのか、
                  その正体が見えてくるかもしれませんね。
                  楽しみなような、ちょっと怖いような…。


                  ところで。
                  明日は花買い開運法の実践日でもあります。
                  決まった時間に、決まった方角で花を求め、
                  玄関などに飾っておくと運気があがる、
                  とりわけ金運がアップする、というもの。

                  今回は 11:00か13:00  西南  です。

                  お花は香りのいいものを。
                  買ったら、一目散に帰宅して飾ること。
                  寄り道厳禁ね。
                  即効があるのが、花買い開運の特徴で、
                  事実、その日だったり翌日だったりに
                  ちょっとしたお小遣いが、降って湧いたように手に入る!

                  で、前回の花買いは11日だったのですが
                  その日はスイトピーを買いました。
                  ピンクの濃淡や薄紫を取り混ぜて。
                  そして玄関に飾って、かれこれ10日。

                  花がしおれていないか、
                  水は足りてるかと毎日チェックしていたのですけど
                  今朝のこと。
                  何だか様子がおかしい。
                  よく見たら、しおれかけた花からサヤエンドウみたいな実が!



                  きっとメシベが成長したんでしょうけれど、
                  なんと可愛らしい、そしてなんと珍しい!
                  思わず写真をパチリ。

                  おっと、これ、現象占いとしたら、かなりの吉兆じゃないかしら。
                  現象占いとは、印象的なできごとで吉凶を占うというものなんだけど、
                  実がつく、つまり何かの成果があるということでは…!?
                  ふふっ、いいことあるかも!

                  11日の花買いの成果らしいものは、まだありません。
                  何もないこともよくあるので、そんなものかと思ってたけど
                  案外これからいいことあるのかもしれない。
                  そんな気がして、ちょっとワクワクの今日なのです。
                  明日の花買いも楽しみ♪


                  | 非日常のこと | 00:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  月と火星 & お盆の眠眠打破
                  0

                    ブログ【太陽と月の魔女】にて
                    12星座別 2015年後半の運勢をアップしました。
                    太陽の魔女(わたくしマリィ)と月の魔女(小泉茉莉花さん)とが
                    語り合っています。
                    年末まで、どう過ごしたらいいか、
                    ぜひご参考になさってくださいね。


                    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


                    明日8月18日(火曜日)は
                    月と火星が60度になります。
                    セクステルと呼ばれる
                    調和と好機の到来を暗示するアスペクト(角度関係)です。

                    自由奔放な振る舞いが
                    周囲から愛されるでしょう。
                    人の顔色をうかがう必要なんかありません。
                    大胆な発言も、この日に限っては大正解!


                    ・・・・・・・・・・・・・・


                    車で片道120キロを往復。
                    昼過ぎに家を出て現地到着が3時すぎ。
                    おしゃべりして、ご飯食べて、
                    夜9時に出発。




                    もう何日も5時間睡眠の日が続いて
                    こりゃ危ないなぁ…と思って
                    高速道路に乗る前に
                    眠気ざましのドリンク剤を購入。
                    さっそくゴクゴクと飲んでみる。
                    …美味しくないけどね。

                    高速道路に乗って20分ほど走ったら
                    急に眠気に襲われた。
                    さっき飲んだドリンク剤はいったい何だったのか。
                    眠眠打破じゃなくて
                    強強打破だったらよかったのか、
                    それとも激強打破にすべきだったのか。

                    折悪しく、というべきか、
                    折良く、なのか、
                    ちょっと先は渋滞中との表示。
                    だったら仮眠を取ろうと
                    サービスエリアへ。
                    人生初の仮眠タイム。

                    …お盆真っ最中のわたくしでした。



                    | 非日常のこと | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    太陽と金星ほか & 終戦記念日に…
                    0
                      本日8月16日(日曜日)は
                      太陽と金星が0度、ピッタリ重なります。
                      コンジャンクションと呼ばれる
                      惑星の持つ意味と影響力が強調されるアスペクト(角度関係)です。

                      魅力がアップしそうです。
                      黙ってそこにいるだけで
                      まわりの人の心を惹きつけるようになるでしょう。
                      ファッションの研究をしたり
                      メイクの練習をするのは大賛成。
                      また、笑顔を見せれば人気者に!

                      もうひとつ、水星と冥王星が120度になります。
                      トリンと呼ばれる、幸運を暗示するアスペクトです。

                      発想の転換が吉と出そう。
                      今までの考え方を変えてみましょう。
                      物ごとは驚くほど好転するはずです。
                      自分に賛同してくれる人の意見を聞くだけでなく、
                      反対意見にも耳を傾けることが幸運のカギに。

                      さらに明日8月17日(月曜日)は
                      月と太陽が30度になります。
                      セミセクステルと呼ばれる
                      潜在的な好機を暗示するアスペクトです。

                      外出にツキがありそう。
                      楽しいことに出会え
                      よい気分転換ができるでしょう。
                      思い切って旅行にでかけるのもおすすめです。


                      ・・・・・・・・・・・・・・・


                      昨日8月15日、終戦記念日。
                      毎年この日に東京・大田区では花火大会が開かれます。
                      大田区は約30年前に
                      世界の恒久平和と人類の永遠の繁栄を願い、
                      平和都市宣言をしたそうです。
                      それを記念して
                      毎夏8月15日には「花火の祭典」が開かれるのです。
                      私も毎年、この花火を見に行きます。





                      さて、このマリィ日記では毎年8月15日に
                      同じ文章を掲載しています。
                      92歳の父の戦争体験を綴ったものです。
                      娘が小学6年生夏休みに「戦争の話を聞く」という課題が出されました。
                      10年ほど前のことです。
                      父、つまり娘の祖父に話を聞いたのですが、
                      娘には面白くもない話だったのでしょう、
                      眠たそうにしていました。
                      しかし私は父の話を捨て置くことはできませんでした。

                      当時、ボルネオ島で貿易会社に勤務していた父は
                      現地召集され、兵隊となりました。
                      その頃のお仲間と出版した
                      『キナバル回想録』と『北ボルネオ サラワクと日本人』という2冊の本と
                      いくつかの兵隊時代の品を私たちの前に置き、
                      兵隊だった頃の話をしてくれたのです。

                      壮絶です。
                      これを小学生にも理解しやすいように要約し、
                      平易な言葉でレポートを作り、
                      娘の作文とともに
                      担任の先生の提出しました。
                      レポートはそのまま娘の小学校に保管され、
                      また父の住む町の小学校にも置いてあるはずです。

                      戦争体験がどんどん風化していきます。
                      毎年8月になると、戦争関連の話題が新聞やテレビに登場します。
                      私はそのことに、なんとはなしの違和感を覚えてしまう。
                      大事な話ならば、たとえば”戦争チャンネル“みたいなものを作って
                      常時、戦争関連の番組を流したら、
                      記事を載せたらいいんじゃないの!?と。

                      戦争の記憶を語り継ぐことこそ、
                      戦争への抑止力になると私は信じています。

                      子ども向けだし、ささか長いのですが、
                      お時間のあるときにでもお読みいただけたら嬉しいです。


                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


                      『ボルネオ島で現地召集された兵士の手記より』

                          〜はじめに〜

                       「戦争中、人々はどんな暮らしをしていたか」というテーマがあれば、
                      私たちの目はつい日本国内で暮らし、防空壕を掘り、
                      空襲におびえ、食糧難に苦しみ、
                      あるいは疎開し、あるいは原爆の犠牲になり…
                      という生活を思い浮かべることでしょう。
                      しかし、国内で生活している人々のほかに、
                      外地(日本本来の領土以外の領有地。朝鮮、満州、台湾など)に
                      兵隊という身分で日々を送った人たちがいたことも
                      忘れてはいけないと思うのです。
                      というのも、現在80歳になる私の父は、
                      その青年時代の一時期を軍隊で過ごしました。
                      この夏、父が話してくれた軍隊時代の話は、
                      それはそれは壮絶です。
                      まるで小説を読んでいるような、
                      まるで作り話かと疑うような、
                      つまり今の日本で暮らしているかぎり、
                      決して体験しないであろう事実が語られたのです。
                       父の話は、このまま埋もれさせるには、あまりに惜しい内容でした。
                      少なくとも戦争のカケラも知らない娘や、そのお友達には
                      ぜひ知っておいて欲しい話だと思いました。
                       幸いにして1942年(昭和17年)〜1946年(昭和21年)頃を思い出して
                      父が書いた手記が、私の手元にあります。
                      ただ文章表現が難しかったり、
                      注釈がないとわかりにくい内容だったりするので、
                      改めて私がわかりやすく書き直したほうが読みやすいだろうと考え、
                      こうして新たに文章をおこしている次第です。


                          〜拓南塾〜

                       父の軍隊生活は、1942年(昭和17年)に始まります。
                      といってもこの年に入隊したわけではなく、
                      「拓南塾」という学校に入学したのです。
                       「拓南塾」というのは、
                      「南を拓く(ひらく)塾」という文字が示しているとおり、
                      当時、欧米の植民地となっていた東南アジアの人たちを、
                      日本の力で解放し、
                      「それぞれの民族が自分の力で自分たちの国を築いてもらおう」
                      という目的のもと、
                      その指導者となる人を育成する学校でした。
                       父は「海外で、人のために働きたい」という強い意欲を持っていて、
                      難関といわれた拓南塾に合格、入学したのです。
                      しかし、拓南塾での生活が、そののちの苦しい軍隊生活へと直結するとは、
                      父自身はもちろん、
                      拓南塾への入学に大賛成だった父の両親すらも考えてはいなかったでしょう。
                       拓南塾には
                      「南方(東南アジア)を墳墓の地とせよ、
                      現地に溶け込むように努力し、
                      日本人として完成して内外人の模範となるように」
                      という方針がありました。
                      マレー語(インドネシア語)や英語をはじめ、厳しい勉強をし、
                      1943年(昭和18年)7月末、卒業。
                      その直後、拓南塾から推薦され、
                      ボルネオ島北部にある日沙商会(にっさしょうかい)という商社へ入社するため
                      8月末、広島の宇品港から一路、ボルネオに向けて船で出航しました。
                      父はこのとき18歳と4ヶ月。
                      今でいえば高校3年生といった年恰好です。

                          〜日沙商会〜

                       1943年(昭和18年)9月末、父は北ボルネオに着きました。
                      ここに日沙商会の支店があり、
                      父の社会人生活がスタートするのです。
                      初めての南の国での生活は、18歳の男の子にとって、
                      どれほどエキサイティングだったことでしょう。
                      見るもの聞くもの全てが目新しく、
                      しかも自分は「南方(東南アジア)の指導者になる」
                      という希望を抱いてやってきているのですから、
                      意気揚々とした日々だったはずです。
                       しかし、戦雲は急を告げていました。
                      太平洋戦争(第二次世界大戦)での日本は、
                      そうとう切羽詰った状況だったはずです。
                      通常ならば内地(日本国内)で召集令状をもらい、
                      その地、もしくは本籍のある土地などで入隊、
                      その後、訓練を経て兵隊になるのですが、
                      この頃はそうしている余裕がなかったのでしょう。
                      父は現地ボルネオで徴兵検査を受け、
                      現地招集という形で1944年(昭和19年)10月、
                      独立守備歩兵第40大隊に入隊しました。
                      つまり仕事先のボルネオで
                      一会社員から兵隊になったというわけです。


                          〜入隊〜

                       入隊後、まずは教育隊に入り、兵隊としての教育を受けます。
                      「要領がよくならないことには、
                      軍隊ではビンタだけをたくさんいただくことになる」と
                      父は手記に記していますが、
                      要領がいまひとつよくないために
                      悲惨な結末になった人もいたようです。
                       兵隊の装備一式は、天皇陛下から頂戴したものと叩き込まれ、
                      とても大切にあつかい、傷つけたりしたものなら、
                      それはひどい目にあいました。
                      まして、陛下からのいただきものである備品をなくしでもしたら…。
                       川原で飯ごう炊さんをしていた時のこと。
                      ひとりの初年兵が飯ごうをうっかり川に流してしまったそうです。
                      当然、すぐに川に入って飯ごうをとろうとしたのですが、
                      流れが速すぎたために間に合わず、
                      飯ごうは流されてしまいました。
                      彼はズブぬれのまま放心状態。
                      備品を失うことの重大さと、その処罰の恐ろしさ…。
                      戦友に救われたとき、
                      彼には言葉もなく、足腰すらも立ちませんでした。
                      食事も歩くこともトイレすら自分でできないまま病室へ。
                      以後、散歩というと軍医に背負われ、
                      赤い花を見つけるとそれを口に入れている、
                      というウワサまで流れたということです。
                      飯ごうたったひとつの流出で、
                      幼児のような精神状態の患者になってしまったことは、
                      なんとも言いようもなく悲しい出来事です。
                      父が教育隊から中隊に配属される日、
                      その彼は軍医に背負われて見送るように近くにいてくれ
                      た、それが彼を見た最後だったそうです。

                       1945年(昭和20年)2月、教育隊で兵隊としての教育を終了した父は、
                      中隊に配属されました。
                      この頃、戦局は日本軍の敗退を暗示するかのような状態で、
                      連合軍が南方各地に上陸し、
                      そこにいた日本軍は分断され、
                      圧倒的に優勢な連合軍の兵火と物量の前に、
                      多くの戦死傷者を出していました。
                      兵舎はゴム林の中にありましたが、
                      そのゴム林にも敵機のまくビラが落ちてきました。
                      ビラには「戦局は日本軍に決して有利ではない。
                      無駄な抵抗はやめて降伏せよ」
                      といった内容が書かれていたそうです。
                      しかし、父たちはすぐに拾い集め、焼き捨てたとか。
                      戦局がそれほどに急迫しているとは思ってもいなかったのです。
                       軍隊での日々も、教育隊での日々と同じように厳しいものだったといいます。
                      教育隊のときには飯ごうを川に流してしまっただけで
                      幼児のような精神状態になってしまった人がいましたが、
                      中隊に入隊後には鉄砲で自殺した人もいたそうです。
                      ある日、父が訓練から帰ってみたら、
                      その人は鉄砲の銃口をお腹にあて、
                      自分の足で引き金を引き、自殺していたのです。
                      このまま軍隊にいたのではどうに
                      もならないような、よほど辛いことがあったのでしょう。


                          〜官給品〜

                       ところで、兵隊が「天皇陛下からいただいた装備」、
                      つまり官給品とはどんなものだったでしょう。
                      父の場合は南方でしたから、
                      その地独特のものもあったようです。

                      ・帽子(野球帽のようなツバのあるもので、南方の暑さをしのぐために
                       帽子の後ろ側に布がたれている)
                      ・防蚊面( ぼうかめん・細かい網で出来ている円筒形のもの。
                       頭からすっぽりかぶって蚊から身を守る。
                       蚊はマラリアという病気を運ぶため)
                      ・防蚊掌(ぼうかとう・蚊よけのためのキャンバス地の手袋、)
                      ・半袖の防暑服(開襟シャツ)
                      ・袴下(こした・ステテコ)
                      ・軍袴(ぐんこ・ズボン)
                      ・軍足(ぐんそく・ソックス)
                      ・軍靴(ぐんか・編み上げの半長靴、いわばハーフブーツ)
                      ・歩兵銃(ピストルではない。長い鉄砲)
                      ・弾入れ(ベルトのようにして腰に巻く。
                       百数十発分の弾が入っている)
                      ・帯剣(銃にさして使う剣)
                      ・背のう(ランドセルみたいなリュック)
                      ・雑のう(ショルダーバッグ)
                      ・水筒
                      ・円匙(えんぴ・スコップ)
                      ・十字しゅ(ピッケル)
                      ・一人用天幕(テント)

                      …ほかにもたくさんありますが。
                       背のうの中には衣類や教科書、食器、裁縫道具などを入れ、
                      背のうの周囲には天幕を結わえ、これを背負ったあと、
                      水筒と雑のうをバッテンがけにして肩から下げます。
                      雑のうには手帳や筆記具などを入れていたそうです。



                          〜逃避行〜

                       さて、中隊に配属後、
                      父たちはプジェットの丘というところまで行軍しました。
                      到着後、すぐに父は発熱。
                      防蚊面や防蚊掌などがあったにもかかわらず、
                      マラリアにかかってしまったのです。
                      マラリアはハマダラ蚊が媒介するマラリア原虫によっておこる伝染性の熱病で、
                      特効薬はキニーネ。
                      一定の潜伏期間の後、
                      悪寒、震えと共に体温が上昇し、1〜2時間続きます。
                      その後、悪寒は消えますが、
                      体温は更に上昇し、顔面紅潮、呼吸切迫、結膜充血、嘔吐、頭痛、
                      筋肉痛などが起こり、
                      これが4〜5時間続くと発汗と共に解熱します。
                      症状は重く、治療が遅れると意識障害、腎不全などを起こし、
                      死亡することもまれではないという病気です。
                      そのマラリアにかかってしまったのです。

                       プジェットの丘にある兵舎からは南シナ海が見え、
                      すでに10艘あまりの敵艦が制圧していました。
                      高射砲で敵艦に向けて撃ったけれど、
                      まるで相手にしていないかのように応戦してきません。
                      しかし、ついに敵からの艦砲射撃が始まり、
                      とうとうプジェットの丘から後退することになりました。
                      要するに敵から逃げ出すわけです。
                      1945年(昭和20年)6月半ばのことでした。
                       父たちは友軍(同じ日本軍)の応援を待ちましたが、
                      もはや戦局はそれどころではありません。
                      敵の戦闘機に追われ、父たち敗残兵(戦いに負けて生き残った兵士)は
                      湿地帯のジャングルに逃げ込みます。
                      ジャングルを歩くと
                      知らぬ間にゲートル(足のスネに巻く布)の中にヒルがもぐりこみ、
                      それを追い払いつつ行軍するのです。
                       プジェットの丘を逃げ出してから1ヵ月後、
                      敵の爆撃はいよいよ激しくなり、
                      父たちはさらに奥地へと後退することになります。
                      マラリア患者は父だけではなく、他にも大勢いて、
                      その患者たちと負傷者が軍用トラック1台に収容され、
                      トラックに乗ったままでの後退です。
                      父は連日の悪寒、発熱に苦しめられ、衰弱しきっていたため、
                      トラックでの乗車後退を命じられたのですが、
                      「生き抜けよ、がんばれよ」という戦友の声も、
                      遠い所で聞いているようにしか思えなかったそうです。
                       トラックの荷台にうずくまっていた父は、
                      別の中隊にいた土居さんの、のぞきこむような顔を見ました。
                      土居さんは日沙商会でも、教育隊でも一緒だった人です。
                      「このままでは死んでしまう。
                      私の持っている注射薬を打ってやってくれ」
                      と軍医に頼み込んでくれまいた。
                      軍医の持つ薬以外は投薬できない規則の中で、
                      どういうやりとりがあったのかわからないけれど、
                      おかげで父は死線から這いだしたのです。
                       しかしトラック後退での途中、
                      道が爆破されていて先に進めなくなったため、
                      マラリア兵と負傷兵は降ろされ、
                      それぞれが三々五々後退することになりした。
                      父は渡辺さんという同年兵と一緒に、
                      なぐさめ、かばいあいつつ、杖をつきながら歩いたそうです。
                      途中、小屋を見つけて泊まることにしたのですが、
                      すでにマラリア患者3人が中にいました。
                      翌朝、早くに目がさめた父は、
                      先客であった左隣に寝ていた兵隊に「洗面にいってきます」と声をかけ、
                      自分の手ぬぐいをとろうとしたところ、
                      隣の手ぬぐいが落ちて、その兵隊の顔にかかってしまいました。
                      それを取り除いて謝ったのですが、
                      返事がありません。
                      疲れて眠っているのだろうと思い、
                      そのまま洗面に出たのですが、
                      小屋に戻って声をかけても、やはり返事がない。
                      顔に手を近づけてみると、息をしていなかったそうです。
                      一夜のうちにその兵隊は亡くなっていたのです。
                       ある峠を越えたところは、密林に囲まれた盆地状になっていて、
                      父たちはしばらくそこで過ごしました。
                      父が所属した中隊の隊員の一部もそこにいて、
                      20人ほどが駐屯していました。
                      指揮をするのは軍曹。
                      ところが敵の空襲を受け、軍曹は足を負傷。
                      軍医がいる野戦病院まで担架で連れて行くことになりました。
                      けわしい崖のある狭い山道を担いでいくのです。
                      担架が揺れると、40歳すぎのベテラン軍曹が
                      「痛い、痛い、お母さん!」と叫びます。
                      結局、軍曹はその野戦病院で亡くなったそうですが、
                      軍人精神をそのままあらわしたかのような軍曹でさえ、
                      最後に頼るのは天皇陛下ではなく「お母さん」なのです。
                       その後、中隊が到着、父はようやく元の隊に復帰しました。
                      が、そこからまた行軍が始まります。
                      しかし、一度は落ち着いたかに思えたマラリアがまた再発し、
                      落伍寸前になりながらも、
                      父はふらつく足で戦友の肩を借り、目的地にたどりついたのです。
                       父は当時、脚気にも苦しんでいました。
                      脚気とはビタミンB1不足のためにおこる病気で、
                      足がしびれたり、むくんだりします。
                      同じ中隊の数人が、
                      その地よりさらに奥地で野菜を作っているということで、
                      「そこへ合流して野菜を食べて治せ」ということになりました。
                      同病の対比地さんと一緒です。
                      これが1945年(昭和20年)7月20日頃。
                      ジャングルの中を、目的地に向かって歩くのですが、
                      ジャングルにはマングローブが生え、
                      その根が水の中に出ている湿地帯を、
                      腰まで水につかりながら歩いていくのです。
                      マラリアと脚気の患者2人がよろよろと歩いていくのです。
                      なんと辛かったことか、心細かったことか。
                      しかし、新鮮な野菜をふんだんに使った食事をさせてもらえ、
                      脚気で袴下(こした・ステテコ)もはけないほどだった足のむくみも、
                      ウソのように治ってしまいました。
                       ところが体が衰弱しているところへ、
                      急激にたらふくご飯を食べる毎日は、
                      胃腸への負担が大きかったのでしょう、
                      今度はお腹の具合がおかしくなってしまいます。
                      アメーバ赤痢(大腸カタル・大腸の炎症)です。
                      トイレに30分おきに通うハメになってしまいました。
                      そうこうするうちに、またマラリアが再発。
                      体力の衰えを病気が待ち構えているような日々でした。
                       中隊に配属後から終戦までの半年あまり、
                      父は飢えと病気と闘いながらの逃避に次ぐ逃避行でした。
                      「よく永らえて今日があるものと、不思議にさえ思う」と記しています。
                      もっとも飢えと病気と闘いながらの逃避行は、
                      父だけではありません。
                      他にも何人も、何十人、いえ何百、何千、何万という兵隊たちが、
                      病気の程度、飢えの程度の差はあっても、
                      同じように苦しんだのです。
                          

                         〜終戦、そして捕虜収容所〜

                       「1945年(昭和20年)8月15日。敵機が低空で飛来。
                      飛行士の顔も見える。
                      われわれは本能的に木の陰に隠れたが、
                      敵の機銃掃射もなく、飛び去っていく。
                      戦争締結が誤報ではないことを知った。
                      ついで、停戦協定ではない、敗戦降伏であることが、
                      通信隊からの情報で明らかになる。
                      茫然自失(ぼうぜんじしつ)−。
                      まだわれわれは戦えるのに、
                      何で降伏せねばならぬのか。」
                      …終戦を知ったときのことを父はそう書いています。
                       しかし、その日のうちにまたマラリアが何度目かの再発。
                      ゾクゾクと身震いし、高熱が出ます。
                      もうろうとした意識で何日かが過ぎ、
                      オーストラリア兵が日本兵を捕虜として収容するため、
                      奥地までやってきました。
                      川を船でさかのぼってやってきたのです。
                      しかし父には気力も体力もなく、
                      腰がふらついて立つことさえできません。
                      「船に乗れ」という命令にも
                      「置いていってくれ、死んでもかまわん」と言うのがやっとで、
                      また意識が薄れていきます。
                      気がついたら船に乗せられていました。
                      みんなが戸板に乗せて船まで運んでくれたそうです。
                      父は戦友によって一命を取りとめたのです。
                       こうしてその年の8月20日頃、
                      父たちは捕虜収容所に入れられました。
                      が、与えられる食事は病人ということもあり、
                      わずかなビスケットだけ。
                      20歳の青年に足りるはずがありません。
                      その後、別の収容所に送られてからも食事は少なく、
                      たとえば朝は飯ごうのフタにすれすれいっぱいのおかゆだけ。
                      ひもじさのあまり、
                      隠れてタピオカイモを生のまま一度にたくさん食べたため、
                      翌朝には亡くなってしまった同年兵もいたそうです。
                      帰国を目前に、そんな死に方をして、
                      なんと哀れで無残なことでしょう。
                       父は収容所の中で、上官から鉛筆書きの短歌をいただきました。
                      「やむがては心おきなく住める世を 思ひて(思いて)
                        けふ(きょう)も忍び生きなん」
                      「はぐくみて咲かせし花を散らすのも 祖国は同じ春の雨かな」


                          〜帰国〜

                       収容所生活が半年におよぼうとする1946年(昭和21年)2月11日、
                      父たちは復員船「輝山丸」に乗船しました。
                      父はこう記しています、
                      「これで日本へ帰れる、という思いが、
                      戦(いくさ)敗れた無念さと交錯して、
                      胸をしめつけられるようでもあり、
                      胸に穴があいたようでもある」。
                       輝山丸が広島県の大竹港に入港したのは、その年3月8日。
                      翌9日にようやく下船がかない、
                      なつかしい祖国に上陸してみると粉雪が舞っていました。
                      防暑服の上下や衿をかきあわせ、
                      哀れな捕虜は震えるばかりだったといいます。
                      赤道直下のボルネオから約ひと月かけて
                      春まだ浅い日本へと帰ってきたのです。
                       その4日後、父は両親の住む木之元駅にたどり着きました。
                      駅頭には白いエプロン姿の母親が出迎えていてくれ、
                      夢かと思ったそうです。
                      母親は外聞も何もなく父に抱きつき、
                      「やせたねえ、もう、これからはどこへも行かないでね」−。
                      18歳の青年だった父が勇んで行ったはずの南方だったけれど、
                      それが実は親不孝という結果を招いていたのだと知り、
                      父はたまらない気持ちだったそうです。


                          〜おわりに〜

                       この夏、戦争中の話を聞いた折に、
                      父は「こんなものがあるよ」と
                      手の中にすっぽりおさまるほどの小さなものを見せてくれました。
                      2cm×5cmくらいの布の上に星が3つ縫い付けてあります。
                      階級章です。
                      捕虜収容所にいる間に上等兵となった父の、
                      階級を示すものです。
                      父は帰国以来、ずーっと、何十年もの間、
                      これを神棚にしまっておいたそうです。
                      色もあせ、汚らしく見えるそれは、
                      しかし父と一緒に南の国から帰ってきたもの。
                      なんといとおしいものでしょう。
                      父とともによく無事に帰ってきたことでしょう。
                      そして父はこんなに小さな汚らしいものを
                      大事に大事にしまっておいたのです。
                      父の若い時代の壮絶な体験を、つぶさに見てきた階級章。
                      私はそれを手にとり、
                      「よくぞ無事に帰ってきてくれたね」と思わずつぶやきました。


                                     了



                      | 非日常のこと | 16:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |